弁当の日@宮崎大学

宮崎大学でもついに弁当の日が始まった。



5月末のシンポジウム@清武に来てくれた大学生を中心に5人で弁当を持ち寄った。



以前から知り合いであった大学院1年の古川くんがシンポ終了後に
「食育のシンポで泣きそうになったのは初めてでした!弁当の日、やります!」
と宣言してくれてから1ヶ月後。



一度の頓挫を経て、ついに実現。
その場にいられなかったのは残念だったが、
宮崎日日新聞さんも快く取材に応じてくださって、
広く県内に伝わったのでとても嬉しい。



最近、弁当の日を取り巻く流れがちょっと面白くなっきた。



先の宮日新聞に僕自身が掲載されてからというもの、
どこへ行っても


「新聞見たよ!弁当つくってるの?えらいねー」


と言われる。


「いえいえ、大学生の頃の話しです。」


と答えている。





しかし、先日、小林市の地元のPTAから


「新聞見ました!是非、母校で講演してくださいませんか?」


と声がかかった。


弁当の日の豪華講師陣とは比較にならないほど実績もないけれど、
日程が合えば引き受けようと思っている。
内容は、中学卒業から大学で弁当の日に出会うまでを簡単に話そうと思っている。



さらに、先日、宮崎市街地のある百貨店からも


「新聞見ました!是非、弁当の日の話しをしてくださいませんか?ギャラはありませんが・・・」


と声がかかった。



こりゃ、いよいよ弁当作りに取り組まねば。
そういえば、今日は久しぶりに冷蔵庫を開いた気がする・・・


とても諸先輩方、諸後輩方に自慢できる状態ではない・・・



と、そんなこと考えていたら昨日、営業先の担当者と政治の話しになり、
東国原知事は今回、国政のキャスティングボートになろうとしてるんだよ。」
と、言うので、
キャスティングボートって何ですか?」
と、話しの途中で聞いてしまい、
「お前そんなことも知らんのか!?話す気が失せた。」
と言われてしまった。


終いには、
「弁当作る暇があったら、勉強しろ!!」
と言われてしまった。


僕の無知から「弁当の日」を冗談ではあるにせよ否定されたことに
非常に責任を感じている。


「やっぱり弁当を作る人は違うね!」


と言わせる程の実力もつけねば、と反省しているところである。

初めて思い出す、ということ

さっき、美容室に髪を切りにいった。



美容師さん(ステキな女の人)と他愛もない会話をした。



雨の日が好きだと彼女は言う。



雨が降っている朝は、ドキドキしているらしい。



大雨や台風のときは、激流と化した近所の小川を見るのが楽しみらしい。




僕も2年ほど前に雨のよさを知ったが、ドキドキするような楽しみではなく、感傷に浸れる楽しみを知った。




土砂降りのあとの川の激流や氾濫を楽しめていないなんて人生損してますよ、と彼女が言った。




「雨の日に遊んだ思いでとかありません?」と彼女が尋ねた。




そういえば、雨の日の小学校の帰り道に、激流と化した近所の側溝でよく遊んでいた。




小さな溝だったので、傘で激流を遮ろうとして、ひっくり返して壊したことか。




雨靴だから濡れないからと、わざと流れに足を突っ込んで、水が入ってきて逆に重くなって抜けなくなったり。




もう濡れたからと、雨靴で水を汲みだしたり。




あぁ、雨の日にそんなことやってたな、と思い出した。





こんなバカな話しをしたのはお姉さんが初めてです、と言うと、初めての会話ができるって楽しいでしょ?来週くらいにいいことあるはずだよ、と彼女は言った。




小学校の時の雨の日のバカな思い出を引き出してくれた美容師さん。





人生で初の話しをするって、おもしろい。





来週辺り、何かいいことありそう。
そう思わせてくれたお姉さんに感謝。

食卓の向こう側シンポジウム in 清武


ある日、西日本新聞の佐藤さんからこんなメールが来た。



”「ふなや」といううどん屋があるよ、筋の通った男だから紹介するね・・・”




へぇ、なんで宮崎のうどん屋さんと知り合いなんだろ・・・?
やっぱり新聞記者っていう職業はつむじが広い、あ、・・・顔が広いんだなぁと思った。




それから何日か経って、またメールが届いた。


件名には”ご検討を!!”とあり、


”(宮崎県清武町で食卓の向こう側シンポジウムを)こんな感じで行きたいのですが、出演はokですか?”
”九大弁当の日の楽しさを話してください”



僕が出演!?シンポで・・・









正直に言えば、まず嫌だなと思った。


宮崎で働き始めてから一度も弁当を作っていなかったし、
それ以前に、九大弁当の日ですら参加回数はめちゃ少ない。
人に伝えられるほど弁当の日を全うしていないから、
人前で話すなど恥ずかしい・・・


さらに正直に言えば、面倒だなと思った。
仕事も2年目でより一層忙しくなって、余裕がないのに、
シンポのことなど考える暇がない・・・


そう思った。




でも、主催する船ヶ山さんは宮崎で「弁当の日」をしてるらしい・・・どんな人だろう・・・
そんなちょっとした好奇心から、出演依頼を引き受けてしまった。




すると、宮崎日日新聞から取材を受けた。
何でも、西日本新聞の「食卓の向こう側」シリーズに興味をもっていて、
さらに、最近の弁当の日というムーブメントを追っている中、
「食卓シンポ」→「@清武」→「九大弁当の日」→「私」となった。



その記事が朝刊2面にカラー写真付きで載った。



反響はデカかった・・・
これまで、「弁当の日」の「べ」の字さえ、職場で話したことはなかった。
それが、その記事以降「よ!弁当博士!」「おい、俺の弁当作ってくれんのか!」と冷やかされるようになった。
特に男性の先輩方。


やっぱり止めときゃよかった・・・
日々の営業もろくに一人前にできないのに、
一丁前に記事になって・・・


でも、共感してくれる人もいた。
「料理するんだ」「弁当の日楽しそうだね」
特に女性の先輩方。
やっぱりみんなそう思うんだ!

「そうでしょ、今度やりましょうよ!」
「やろう、やろう」


一躍時の人、ならぬ弁当の人となった。



そして、昨日。
140人の前で「九大弁当の日」の話をした。


九大弁当の日のプレゼンでは、何を話すか決めていなかった。
「晴れた日にみんなで外でご飯を食べたら気持ちいいだろうね」
そんな軽いきっかけであったことだけ伝わればいいかなと思っていたからだ。


自分の出番の前に、食の話、小中学校の弁当の日の話を聞いた。
一度は聞いたことがある話だったが、聞いているうちに、
錆び付いていた「食べることは生きること」という感覚が蘇ってきた。


僕は、用意したスライドショーを繰りながら、
そんな講師陣の話を思い出して、
この僕らがやってきた「弁当の日」は実はとっても意義深く、奥深く、
幸せに生きることに役立っていたんだと改めて思えてきた。



結局、最後に僕は宣言してしまった。
「職場、大学でも弁当の日をやります。」と。



これで、もう僕は弁当の日から逃げられなくなった。






このシンポジウム出演を通じて、仕事だけでは学べない多くのことを学べた。


まず、仕事がすべてではないということ。
仕事を理由にして、やった方がいい活動(遊び)をしてこなかった。


そして、遊びを中途半端にする人は仕事も中途半端であるということ。
きちんと仕事ができる人ほど、きちんと遊びの段取りも組めていた。
シンポスタッフを見ていて、さすが大人はすごいなと思った。




長くなったが、最後にひと言。


いい一歩が踏み出せたと思う。
みなさん、ありがとう。

山登りという休日

nino-log2009-05-15



本当に家族5人が小林市の実家にそろったと思いきや、福岡から帰ってきた弟を高速バス降車場で拾って、そのまま霧島登山へ。



霧島連山最高峰、標高1700mの韓国岳



報告するまでのことではないが、記録として日記に書いておこうと思ったのです。



久しぶりに、本当に久しぶりに登った韓国岳は、思ったより楽でした。



背が伸びたんだなぁと思った次第です。



そして、今度は登ったことがない山に挑戦してみたいなぁと、登山家に共感してしまいました。



あ、昨夜、映画「クライマーズハイ」の堤真一っぽいよねと、お世辞にも言われてしまい、愚かにもその気になっております。
蛇足でした。



日々、経済活動を続ける社会に生き、ようやく1合目を過ぎた辺り。
この社会という山の頂き目指して、明日も一歩踏み出そうと思っています。


志章

桜も散って

nino-log2009-04-04



宮崎は葉桜となりました。


同時に、田植えも終わりました。


福岡では信じられない光景ですね。


去年は感じられなかった宮崎の春を、今年は感じられました。


今日は久しぶりの休み。


ゆっくりしよっと。

春からも宮崎から

nino-log2009-03-25



3月初旬、人事異動がありました。


社内では、僕ら新人3人(新米営業)がどこへ配属されていくかが、一番の関心ごとでした。


その日は、午前中が常勤役員会議があり、そこで人事の最終決定があるのですが、全く仕事が手につかず。
その午後、昼食後。
私はお腹が痛くなって、トイレに駆け込んでいました。
(原因はストレスだろうか・・・たぶん食べ過ぎ)
その間に、人事の発表が済んでいました。

同期二人が異動。
一人は報道記者に。
もう一人は東京支社に。


僕は本社営業!
残留!!


どうやら、トイレにいっている間に、同期はそれぞれ一人ずつ常務に肩を叩かれて個室へ入り、異動を告げられていたそうです。
個室から出てきた二人の顔は、一人ははち切れんばかりの喜びを隠そうと必死で歪んだ顔で、もう一人は出てくるなりため息と落ち込んだ空気をまとったくじけそうな顔だったそうです。
その瞬間を見逃した・・・


制作希望で入社し、営業に配属され、くじけそうになりながらも「どうせやるなら一番に」と決めて1年間頑張って、最近では「どうせ営業やるなら3年は」と決めていたので、ある意味希望が叶ったかたちとなりました。



ただ・・・



一日約12時間を1年間過ごした同期がいっぺんにいなくなると想像したとき、とてつもなく寂しくなりました。
なんだか、置いてけぼりにされたみたいで・・・



昨日、早速一人が東京へ発ちました。
朝の挨拶が一つ減り、斜め前の机が一つ空いていた今日は、さらに寂しさを実感しました。



寂しいとは言え、出会いと別れはこの世の常。
また新たな出会いと成長の機会。


同期二人が担当したスポンサーを僕一人が担当し、仕事量は単純に3倍に。
ただ、トラブルの数はその二乗の勢いで増えています。笑


非常に期待されて(自己評価)配属されたこの本社営業2年目!



もっと宮崎をおもしろく!
もっと感性に響く番組を!



「石を運んでいる」でもなく「ピラミッドを造っている」でもなく「文化を創っているのだ」という気概で、仕事に励む決心をしている今日この頃です。



桜の花が咲きました。
この春からも宮崎から日々を綴ります。

異国からの便り

その日というものは突然にやってくるものだなと常々思う。


一昨日、アメリカから小包が届いた。
「stone」と書いてある。


ハサミで封を切ってみると、中には顔のある太陽と月をかたどった素焼きの飾りが入っていた。
何となくにおいをかいでみた。
ちょっとヨーグルトみたいなにおいがした。


手紙も入っていた。
手紙によるとその飾りは、メキシコ・テオティワカンの太陽と月の神様らしかった。


「神々の集う場所」を意味するテオティワカン
古代の3人の神々がそれぞれ我が身を犠牲にして、生き物と太陽と月となった。
さらに、生き物、太陽、月が一定の距離を保ち動くよう他の多くの神々も我が身を捧げた。
そして、人間はそのバランスを保ち動かし続けるために自らの心臓を捧げる定期的な生け贄の儀式を開いた。
それが、最高の名誉であった。


自らの神性を信じ、信念を持つこと。自信をもつということ。
そして、行動を起こすこと。
それが成功への第一の条件だと締めくくってあった。


その人と僕とは地球の反対側にいる。
お互いがお互いの成長を慮り、一定の距離を保ちながら同じ時を過ごしている。
2ヶ月後、また会える日が来ると思う。
これも、たくさんのヒトに支えられた関係なのだろうと思う。
それまで、もう一皮むけるよう自分を磨きたい。


ついでにちょっと、手紙のにおいもかいでみた。
薄い紙のにおいがした。