あるタイでの一日、7日目。
雨期のタイは雨ばかりです。
今日はハムシのトラップを仕掛けにいきました。
トラップは3日に一度チェックするので、はるばるヤシ畑まで虫を見に行かねばなりません。
きっとそのうち、本が書けるでしょう。
「ココヤシ畑でつかまえて」
内容はご想像の通りです。
ある少年の青春期における自己探求の物語です。
しょうもない話はやめて、ちょっと感動した話を一つ。
タイへは5冊の文庫本を持っていていますが、
その一つを昨夜、読み終えました。
司馬遼太郎「十六の話」
司馬氏の「竜馬がゆく」「坂の上の雲」など有名どころは
何度となく手を出してみたのですが、ちっとも先へ進めませんでした。
正直に「ちょっと退屈」だったのです。
なぜか。
タイで独りという環境で半ば強制的に読んでみた「十六の話」から、
その理由を見つけました。
それは、僕の知識の中における様々な教養、歴史が点でしかなかったから。
この「十六の話」は司馬氏の晩年の作ですが、ここにきて、やっと僕は彼がなぜ歴史を愛してやまないのかわかった気がします。
歴史の点と点が繋がる楽しさ、そこに垣間見える知り得ぬ過去とまだ見ぬ未来。
それが歴史を学ぶ醍醐味なのかもしれないなと感じています。
この本の最終話に「二十一世紀に生きる君たちへ」という話があります。
内容は詳しく述べませんが、感想を一言。
「未来という歴史の街角で、司馬遼太郎氏に遇いたいな」
以上、ほんの話でした。
次は何を読もうかな。
nino